XJAPAN、LUNASEAのSUGIZOさん難民支援を続ける理由ロングインタビュー
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、戦争や迫害、紛争から逃れた難民・避難民は昨年、世界中で7000万人を超えました。
ミュージシャンのSUGIZOさんは2016年3月にシリア難民が暮らすヨルダンの難民キャンプを訪問。
2018年にはパレスチナ自治区でコンサートを開くなど、難民支援の活動に取り組んでいます。
今年もSUGIZOさんは、難民キャンプを訪れライブや交流するべく出発されました!
SUGIZOさんと、パレスチナでSUGIZOさんと行動を共にしたフォトジャーナリストの佐藤慧(さとう・けい)さんが毎日新聞のまいもくの番組に出演した際のインタビューを紹介します。
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RT @mainichi: ミュージシャンの #SUGIZO さんが難民支援の活動について語ったきょうの #まいもく 。こちらのサイトからご覧いただけます。
https://t.co/LJpbDpU2yP— SUGIZO (@SUGIZOofficial) September 5, 2019
SUGIZOさんまいもくロングインタビュー
難民支援・原発の活動の原動力
記者: 難民支援や原発の活動をもう20年行っていらっしゃるんですよね
SUGIZO : 20年21年くらい前にそこに開眼したってことですよね。実際動き始めたのは2001年くらい
記者: そういった活動を長く続けてこれた原動力っていうのはどこにあるのでしょう
SUGIZO : 原動力、難しいですけど根本的な話ですよね。超根本的な言い方ですけど”未来をあきらめてない。このすべての地球上の人間が人間だけじゃないね、すべての生き物が動物も植物もみんながもっと幸せになれるはずだと思っていて、たしかにずっと文明以来争っていますけどいつかそれを卒業できるはずだと信じています。だから一見いまの時代としては社会情勢的にもかなり緊張感があって僕の考え方はある意味のんきかもしれないけど未来が輝いてるって気持ちをずっと持っていて、そのための活動といえますね。”
記者: どうしても世界中で争いが起きていて当たり前に思えてしまって麻痺してしまって麻痺してしまっている状態がおかしいって、解決できるっていうこと、さっきのんきかもしれないおっしゃっていましたけどでも本当はそれを望むことが自然の姿というか…。
SUGIZO : 理想のすがただと思う、だから武器をもたないこと、核をもたないこと、争わないこと、そこが理想だとみなが考えれば今はね抑止力のために武器が必要だという人が多い。
たしかに危ない状況のときはこちらも身構えなければならない、でもそれって本当の理想なのっていうとそれはやむを得ない方向やむを得ない状況なわけで究極の理想を求めたい。
もちろん、それには順序があるのかもしれない。
原発に関しても核兵器にたいしても難民に対しても。僕らが思う究極の理想をあきらめちゃったら本末転倒だとおもうのでその気持ちからこの活動が自然に生まれています。
記者: 次の世代のためになんとかしたいといった気持ちもありますか?
SUGIZO : ありますね、未来のためイコール次の世代のためですし自分がこういう気持ちになったのも自分の娘が生まれたのも大きいですし。いま僕らの世代が世を生きてる責任というのは次の世代によりよい未来を手渡すことだと強く思っています。
ミュージシャンとして社会活動することの難しさ
記者: ミュージシャンと社会活動の両立ってすごく大変だと思うんですけど、SUGIZOさんのなかではひとつのながれというかゴールは同じというふうに言えるんでしょうか。
SUGIZO : どうかな、たまたま一緒になっちゃっただけでね。もともと環境、難民、平和にたいして動き始めたときにミュージシャンとしての自分じゃなくて一市民としての自分だったんですね。
音楽家は音楽家としての自分の生き方があって長く続けていると、どこかで結びついたんですね。最初から一緒だったわけじゃないし。自分の音楽家としての立場を利用していたわけではない。でも気が付いたら利用してもいいんじゃないかと思ったんです。
なにが大変かというと時間的なこととか物理的なことじゃなくて、やっぱり日本だとミュージシャンとか表にたつ人間が政治や社会活動に関わるなという意見が少なくないことですね。
僕にとってはそれこそ言語道断で、表現者や芸術というのは過去からずっと社会のうねりといっしょにあったんですよ。音楽家が芸術家が作家が世の中にたいして政治にたいして物事を発信することが当たり前のことだと思っていて、日本はいつのまにかそうじゃなくなってしまって。
記者: そうですね。
SUGIZO : いつのまにか自由に発信していい、自由に表現、言動を行えるっていうその根本的な部分がゆらいでしまっている。そこに対して僕は屈したくないっていうのはあります。
記者: そうですよね、歴史的にミュージシャンって政治のメッセージとか環境のメッセージとか強く伝えてきたってイメージが私もあったので、今の日本でそういうことしゃべっちゃいけないっていうのは違和感ありますよね。
SUGIZO : 違和感あります。ロックミュージシャンが反体制で政治に対して物申すってのは私は信じられませんっていう人たちがびっくりするくらい多いんですね。え~!?って思います。
記者: 実際にそういうこと言われるとかメッセージがくるとかっていうことありますか?
SUGIZO : すごくあります。僕らだけじゃなくてすべての人が発信の自由をもっているはずなんで。もちろんそれは、人としての倫理にあってないとむちゃくちゃなことを言ってもデタラメなことを言ってもそれはよくないんですけど。
人としての倫理をちゃんと守ってポジティブな意見をどんどん僕は発信するべきだと思っています。
難民という問題に関心をもったきっかけ
記者: そうですよね、どうして難民という問題に関心を持ったかをお聞きしたいですが。まず原発への問題意識があった、そこからいろんなことを勉強されるようになったということなんですが、2010年ごろから難民について勉強するようになったと。
SUGIZO : 僕の娘が小さい頃20年ほど前に、まずこどもたちをもっと幸せにしたあげたいって思ったんです。その時に同時に難民のこどもたち、飢餓に苦しんでいるこどもたちがダイレクトに僕のなかに入ってきた。そういう意味でいうと難民支援に意識がシフトしたのは確か20年前といえますね。
たとえば、難民がどうして生まれるのか又はどうして環境が破壊されるのか。どうして紛争地のこどもたちが小児がんになるのか。
結局それは紛争、戦争の被害にほかならないので難民の子供のそして環境の理想的なありかたを考えるとやっぱりそれは反戦に気持ちが傾いていったし反核に傾いていった。
記者: はい。同時進行的にいろんなことに興味をもってここに戦争という問題があるんだというふうに意識を持つようになったということですね。
ミャンマーからいらっしゃったファッションデザイナーのザニーさん。ザニーさんとお会いしたのが実際に難民としての体験を持つ方とはじめてあった経験だったというふう読んだんですが。
SUGIZO : そうですね、10年も前じゃないか。7,8年前だと思うんですが確かにそうですね。それ以前から難民問題についてはコミットしていたのでザニーサンと会って僕が大きく変わったかといわれたらそういうわけじゃないんですけど実際ご本人のこえを聞いて日本のなかで逆境から育っていて今頑張っていらっしゃって、すごくお互いシンパシーを覚えてすごく強い友情で結ばれた感じが、ちなみに彼が日本にきたころにLUNASEAがワーってかかっててすごくFANだったんだって。とてもお互い意気投合しました。
記者: ザニーさんは8歳で日本にきて17歳で難民申請をうけた、特別在留許可を得たっていうことなんですけどそういった方々が日本でも暮らしていることもあってどんどんこの現実を広めていく、いきたいなっという気持ちにつながったんですか
SUGIZO : 日本は厳しいですね。(認定が)もともと日本は島国ですし異国の人、違った人種の人と交じり合って生活していくことが慣れてないですよね。そういう意味でいくと保守的な気持ちを持っているひと、ご年配の方々が抵抗がある気持ちも分かる。だけど日本のように、日本もいろいろ大変ですけど世界的にはある意味経済的にも立場的にも確立されている国が戦後最悪な状態の難民問題をスルーし続けるのは僕は非常に積み深いと思います。
記者: そうですよね、難民問題をスルーした状態で海外からたくさんの方を受け入れてコンビニで働いてもらったり、そういう状況も見過ごせないですよね。
SUGIZO : それをうまく融合できないかと僕思うんですよね。仕事をしている難民のかたはもちろんたくさんいますし、僕らまだね今を生きれるし明日の食べ物を心配しなくていいというすごくありがたい状況にいる。でも近くにそうじゃない人がすごくたくさんいるんですよ。せめてちゃんと安心した場所で眠れて飢えることなく自分の生活を推進できるように我々が協力していく義務があると僕は思うんですけどね。
長いインタビューなので、難民キャンプに訪問した際のお話は次のvol.2へ。
参考: 毎日新聞まいもく